1992年9月に芸能界デビューし、2018年9月に芸能界を引退した、安室奈美恵さん。
安室奈美恵さんはもともとスーパーモンキーズというグループのメンバーで、その後ソロデビューを果たしました。
スーパーモンキーズの結成秘話やデビューの経緯、下積み時代、メンバーとの関係などについてまとめました。
目次
グループ名の由来は?スーパーモンキーズの知られざる結成秘話

沖縄アクターズスクールの選抜メンバーで構成
「SUPER MONKEY'S」はもともと、沖縄アクターズスクールの選抜メンバーで構成されたダンスパフォーマンスグループでした。
アクターズスクール内で選抜されたスクールメンバー20人の中から、さらに5人のメンバーが選ばれ、結成。
安室奈美恵さんがその「SUPER MONKEY'S」のメンバーに選ばれたのは、中学2年生の時でした。
グループ名の由来は?
結成当初のメンバーは安室奈美恵さん、牧野アンナさん、澤岻奈々子(NANA)さん、天久美奈子(MINA)さん、新垣寿子さんの5人。
グループ名はスクールの校長・マキノ氏が命名したそう。
「お前たちはまだタレントではなく猿の段階、でもただの猿(モンキー)じゃかわいそうだから “スーパー・モンキーズ” にしよう!」という流れだったそうです。
若干ノリで決めた感も否めませんが(笑)、10代の女の子たちのハツラツとしたパワーを感じるグループ名ですよね。
沖縄アクターズスクール式「腹式呼吸」とは
安室奈美恵さんはデビュー当時から「口パクは絶対にしない」というプライドを持っていたそう。
口パクなしで、歌いながらがっつり踊れるアーティストはあまり多くはありませんよね。
それができるのは、安室奈美恵さんがしっかりと腹式呼吸で歌っているからだと言われています。
安室さんはデビュー当時のドキュメンタリーで、ボイトレの様子を公開していたことがあります。
そのボイトレ方法とは、腹筋をしながらバスケットボールを落とし、ボールが落ちてきた時に息を吐いて発声するというもの。
かなりハードですよね...!また、沖縄時代には空手も習い、そこでも特殊な呼吸法を教わったそうです。
安室さんの安定感のあるボーカルスキルは、沖縄アクターズスクール時代の基礎によるものなのでしょう。
鳴かず飛ばず?スーパーモンキーズの下積み時代
デビュー曲の最高位は「29位」
スーパーモンキーズは1992年9月に「恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.」で東芝EMIよりメジャーデビュー。
「OKINAWAからカリフォルニアが見える」がキャッチフレーズで、デビューシングルのオリコン最高位は、29位でした。
希望を抱いてデビューを果たしたものの、デビュー当時の「スーパーモンキーズ」は鳴かず飛ばずでした。
スーパーモンキーズ https://t.co/1GM7YoNZ01 pic.twitter.com/24ut4hIzHY
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メンバーの1人が脱退
さらに、スーパーモンキーズはセカンドシングル「ダンシング・ジャンク」のリリース後、メンバーの牧野アンナさんが脱退。
その際にグループ名を「SUPER MONKEY'S 4」に改名。メンバー全員が沖縄アクターズスクールを正式に卒業し、上京します。
メンバー5人での共同生活
沖縄から上京したスーパーモンキーズのメンバーは、メンバー5人での共同生活を開始しました。
合宿のような形で、料理や掃除、洗濯などは当番制でやっていたそうです。
当時は東京都大田区にある京浜急行「雑色(ぞうしき)駅」付近、水門通りの方に住んでいたという噂もありますね。
奈美恵さんは時々お母さんに電話をかけていたようですが、電話もメンバーでの取り合いで大変だったそうです。
当時まだ14歳だった奈美恵さんにとって、メンバーがそばにいたことはとても心強かったことでしょうね。
過酷なトレーニング
しかし、スーパーモンキーズのメンバーたちは、デビューのために本格的に上京した後は過酷なレッスンをしていたそう。
リーダー・牧野アンナさんが作ったトレーニングメニューに沿って、筋トレやジョギングなども行っていたそうです。
当時はあまり仕事がない上、交通費も自腹。そのため、どこへ行くにもメンバー全員で行動していたそうです。
沖縄の家族にそれぞれのメンバーが仕送りをお願いすることもあったといいます。
さらに、プロ意識を高めるため、恋愛禁止令、お菓子は1ヶ月に1回、門限は夜6時などのルールもあったそう。
それほど過酷な下積み時代を乗り越えられたのは、メンバー同士で支え合っていたからかもしれません。
共同生活時代は「こんな風に歌いたいね」など、夜な夜なメンバーみんなで夢を語り合ったりもしていたようです。
有名アーティストからの楽曲提供
4枚目のシングル「PARADISE TRAIN」からはグループ名を「安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S」に改名。
しかし、当時大ヒットしたZOOの「Choo Choo TRAIN」を手がけた中西圭三さんの作曲にも関わらず、100位圏内にも入らなかったようです。
有名アーティストからの楽曲提供を受けてもなお売れないとなると、メンバーも余計に落胆してしまったことでしょうね。
「私がセンターだから売れないんだ」
奈美恵さんは、スーパーモンキーズが売れないのは「私がセンターだからだ」と、自分のせいだと思っていたそう。
そのため、アクターズの校長・マキノ氏に「辞めたい」「ダンサーとしてやっていきたい」と訴えたこともあったそうです。
当時まだ10代半ばの奈美恵さんにとって、ブレイク前のグループのセンターを務めるプレッシャーは大きかったことでしょう。
またその一方で、ダンサーに転身したいと訴えるほど、当時からダンスが大好きだったことも伺えますね。
マキノ氏は奈美恵さんの才能を信じていたことから、活動を続けるように励ましていたといいます。
時々、沖縄に帰省していた
安室奈美恵さんは、上京したばかりの頃は事務所から休暇をもらい、よく沖縄に帰省していたそう。
奈美恵さんの母・恵美子さんの目から見ても当時は「スーパーモンキーズが売れていないのは確か」だと感じたそうです。
沖縄に帰省する際の奈美恵さんはいつも疲れているような顔で、恵美子さんも寝たいだけ寝させておいたと語っていました。
帰省する際、奈美恵さんは口数も多くなかったようですが、お母さんに心配をかけたくなかったのかもしれませんね。
「いつかきっとビッグになってやる」
時々挫けそうになりながらも、「歌と踊り以外に私にできることはない」と自分を奮い立たせたという安室奈美恵さん。
下積み時代にデパートの屋上のステージで歌った際も「いつかきっとビッグになってやる」と思っていたそうです。
「TRY ME ~私を信じて~」が大ヒット
そして1995年に「TRY ME ~私を信じて~」でブレイクを果たします。
オリコン初動は49位だったものの、有線での人気とユーロブームも重なり、累計売上73万枚の大ヒットとなりました。
1991年にグループを結成してから約4年、奈美恵さんは「ようやくヒットが出てくれた」という気持ちだったそうです。
次にリリースされた「太陽のSEASON」からは「安室奈美恵」単独名義に。事実上のソロデビューとなりました。
この時期に、後のプロデューサー・小室哲哉さんと出会います。その後の活躍は皆さんご存じですよね。
安室奈美恵さんがソロになったことで、奈美恵さんを除く4人のメンバーで「MAX」が結成されました。
安室奈美恵と「スーパーモンキーズ」メンバーの関係は?

安室奈美恵とMAXの不仲説について
もともと同じグループに所属していた安室奈美恵さんとMAXのメンバーとの間で、不仲説が出たこともありました。
しかし、実際は不仲説は事実ではなく、安室奈美恵さんはソロデビュー後も何度かMAXと番組でも共演していました。
番組で共演した際は、ステージの後ろの方で一緒にふざけていたことも。
MAXのメンバーの誕生日には安室奈美恵さんがプレゼントを送ったと番組で語っていたこともありました。
まだ10代の頃から同じ夢を目指して共同生活などもしていた間柄ですし、その分絆も深いことでしょう。
お互い多少のライバル心はあったかもしれませんが、良い意味で切磋琢磨し合っていたのではないでしょうか。
引退時にもコメントを発表
安室奈美恵さんの引退発表後は、MAXメンバーのほか、元メンバーの牧野アンナさん・新垣寿子さんが応援コメントを発表。
さらに、スーパーモンキーズのデビューCD「ミスターU.S.A.」のジャケット写真をTwitterのアイコンに変更していました。
奈美恵さんが引退することになり、かつて同じ夢を目指してきた同志として懐かしい気持ちになったのかもしれませんね。
このような流れを見ても、安室奈美恵さんとスーパーモンキーズの元メンバーの関係は良好だったといえるでしょう。
元リーダー・牧野アンナが語る「安室奈美恵」
スーパーモンキーズのリーダーを務めていた牧野アンナさんは、安室奈美恵さんについてのエピソードを語っていました。
スーパーモンキーズの初期は、お客さんもいないスーパーのレジの前で歌って踊るという下積みの日々。
牧野アンナさんは当時「嫌だな、、こんな仕事」と思っていたそうですが、安室奈美恵さんは違ったそう。
当時14歳だった安室さんは「歌える踊れることが嬉しい!」と、とにかく楽しそうにしていたといいます。
「どんなに頑張っても、彼女を超えられない」
スーパーモンキーズのリーダーだった牧野アンナさんは「デビューしてみたら、奈美恵がすごくて・・・」と語っています。
デビュー当時はスーパーのレジの前での営業が多く、こんな仕事イヤだな、と思っていたという牧野さん。
しかし、当時14歳だった安室さんは、「歌える踊れることが嬉しい!」ととにかく楽しそうにしていたそうです。
歌だおダンスがとにかく大好きで、歌わずには踊らずにはいられない、というパワーを安室さんから感じたそう。
才能があるのに加え、歌とダンスが大好きで、さらに努力家ときたら、「敵わない」と思ったといいます。
牧野アンナさんは、「ここでどんなに頑張っても、彼女(安室奈美恵)を越えられない」という気持ちを抱いたそう。
その後、牧野アンナさんはグループを脱退し、指導者としての道を歩むことを決めたといいます。
デビュー曲「ミスターU.S.A.」のPVを見ると、キラキラした表情で踊る安室さんの姿がとても印象的です。
ダンスが上手いだけでなく、とにかくダンスが大好き。メンバーまでもを圧倒させるレベルだったことが伺えますね。
スーパーモンキーズのその後がすごい!
「スーパーモンキーズ」は、グループとしての売上はあまり振るわなかったという印象があるかもしれません。
しかし、スーパーモンキーズの元メンバーの方たちは、それぞれの分野で大活躍しています。
安室奈美恵さんは国民的歌手として大活躍し、MAXはヒット曲を連発、紅白にも出場していました。
さらに、牧野アンナさんは沖縄アクターズスクールの指導者として活躍するほか、AKB48の振付なども担当。
元メンバーの新垣寿子さんも同様に振り付けを担当するほか、アメリカでもダンスで数々の記録を残しています。
沖縄アクターズスクールのレッスンのレベルの高さや、メンバーの方たちの圧倒的な実力の高さが伺えますよね。
まとめ
今回は、スーパーモンキーズの結成秘話やデビューの経緯、下積み時代、メンバーとの関係などについてまとめました。
安室奈美恵さんがもともとグループに所属していたということを知らない方もいるかもしれません。
その後の各メンバーの活躍を見ても、「スーパーモンキーズ」は超・実力派グループだったことが伺えますね。
安室奈美恵のプロフィール
名前:安室奈美恵(あむろなみえ)
生年月日:1977年9月20日
年齢:48歳
血液型:O型
出身地:沖縄県那覇市
身長:158cm
体重:40㎏
スリーサイズ:B75-W58-H84
職業:歌手、ダンサー
事務所:stella 88
1992年9月にスーパーモンキーズのメンバーとして東芝EMIよりメジャーデビュー。
1995年にavex traxよりソロデビューし、2018年9月をもって芸能界を引退した。