1992年にデビューし、2018年に芸能界を引退した安室奈美恵さん。
長い間第一線を走り続けてきた安室さんですが、一度、人気が低迷した時期を経験しています。
今回は、そんな安室奈美恵さんの知られざる低迷期と、再ブレイクまでの道のりをまとめました。
安室奈美恵が低迷期に突入した理由
1年間の活動休止
1997年12月から1998年12月までの1年間、安室奈美恵さんは芸能活動を休止。これは彼女が低迷期に突入するきっかけの1つになりました。
1年間のブランクに加え、結婚・出産を経て音楽観に変化が生じたことで、徐々にヒット曲を出せなくなっていったのです。
流行が目まぐるしく変化する音楽業界で1年間休むということは、安室さん本人にとっても焦りの原因となったかもしれません。
「1998年デビュー組」の登場

安室奈美恵さんが活動休止していた1998年は、新人女性アーティストが次々にデビューした年でもあります。
1998年2月にMISIAさん、4月に浜崎あゆみさん、5月に椎名林檎さん、7月にaikoさん。
そして、安室奈美恵さんの復帰直前の12月初めには、宇多田ヒカルさんがデビューしました。
「1998年デビュー組」と呼ばれた彼女たちは、強烈な個性でヒットを連発し、安室さんの強力なライバルとなったのです。
「シンガーソングライター」の台頭
また、彼女たちは自身で作詞や作曲を手がけ、リスナーの「共感」を武器とする「シンガーソングライター」でした。
安室さんが活動を休止していた1年の間に、音楽業界の流れはすっかり変わってしまったのです。
小室哲哉の勢いの低下

バブル期はカラオケで歌えるCDが爆発的な人気を誇りましたが、平成10年頃にバブルは崩壊。音楽業界でもCDの売上が激減しました。
そんな中、プロデューサー・小室哲哉さんの勢いも全盛期に比べ下降気味に。安室さんもなかなかヒットが出せなくなっていました。
2002年に小室プロデュースを離れる
そしてついに2002年、小室さんとのタッグを解消。自身のブレイクのきっかけとなったプロデューサーを離れることとなりました。
さらに、安室さんは2002年に離婚。私生活の変化で一部のライトファンが離れ、「安室奈美恵は終わった」とまで言われるようになりました。
手探りのセルフプロデュース時代
「小室プロデュースを離れたときが本当の始まり」と語っていた安室さん。
仕事でも私生活でも環境が変わり、いわば投げ出された状態だったそうです。
当時について、安室さんは以下のように語っていました。
「私も一人の母親として息子のために頑張らなきゃいけない。それが生きがい」
「UK TIMES」(2005年1月)インタビューより
1人で子供を育てていかなければならず、立ち止まるわけにはいかなかったのでしょう。
小室プロデュースを離れ、自らアイディアを模索し楽曲を選曲する「セルフプロデュース」へと移行した安室さん。
レールの上をひたすら走っていた10代の頃とは環境が変わり、この頃は孤独や葛藤を感じていたといいます。
激動の音楽業界で、どういう楽曲が受け入れてもらえるのかを模索することは、並大抵のことではなかったでしょう。
作曲に挑戦するも、断念

シンガーソングライターが台頭していた当時、安室さんも作詞作曲に挑戦。当時について、以下のように語っています。
「自分で作詞もしなきゃいけなかったりとか作曲もしなきゃいけないんじゃないかっていうのもあったりして。機材を揃えてやってみたりしてましたね」
『平成史スクープドキュメント 安室奈美恵 最後の告白』(NHK)より
「やっぱり得意、不得意があるなっていうのには気づいて、作曲はすぐに卒業しました」
『平成史スクープドキュメント 安室奈美恵 最後の告白』(NHK)より
結局、作曲は断念したようです。
安室さんが時代の流れに合わせて作曲にまで挑戦したのは、小室プロデュースを離れた不安も影響していたかもしれません。
しかし、その後安室さんは徐々に自分の音楽性の方向を定め、着実に再ブレイクへと足を進めていきます。
安室さんは小室プロデュースを離れてから音楽を楽しむことを忘れていた自分に気づき、自身の音楽性を改めて追求したそうです。
安室奈美恵の再ブレイクまでの道のり
「ダンスで魅せる」MVへ
作曲は断念し、「苦手な分野は専門家に任せて、自身は歌とダンスに専念する」という結論に至った、安室奈美恵さん。
この頃から「MVでもダンスをしっかり見せたい」とスタッフに提案するようになったそうです。
小室プロデュース時代から「歌って踊れる歌手」として知られていた安室さんですが、MVではほとんどダンスをしていませんでした。
当時はあまりに多忙で、MV収録の振付を期限内に仕上げることさえ難しかったためだといいます。
セルフプロデュース第一弾「Say the word」
以前から「ダンスをしっかり見せるPVを撮りたい」と思っていたという、安室さん。
2001年リリースのシングル「Say the word」で、その想いを叶えることとなります。
ダンサーを従え、ガッツリ踊る楽曲をセルフプロデュース第一弾に持ってきたことは、安室さんの一つの決意表明にも見えますよね。
MVにダンスを入れること関しては、安室さん自身かなりこだわって、スタッフさんにも熱く訴え続けたそう。
MVで自身の強みであるダンスを徹底的に魅せるというアイディアは、のちの安室さんの再ブレイクにつながる要素の1つでしょう。
SUITE CHICとしての活動を開始
もじもじ…距離感
— たたかうアスカハニー (@sswd56) May 31, 2018
安室奈美恵 - CLOSE UP SUITE CHIC イソタビコ一https://t.co/1MLycjYdWH pic.twitter.com/2ppuBLycWo
安室さんはその後、ZEEBRAさん、AIさん、今井了介さんなどの実力派アーティストとともにSUITE CHICというプロジェクトを開始。
2003年には、コラボアルバム「WHEN POP HITS THE FAN」も発売しました。
アンダーグラウンドとメジャーの境目がハッキリしていた当時の邦楽シーンで、音楽ファンからも注目を集めた「SUITE CHIC」。
国民的アーティストである安室さんが自身の名前を出さずにブラックミュージック全開の音楽を始めたことに、驚いた人も多かったでしょう。
当時の活動について、安室さんは以下のように語っています。
「今までは考え過ぎてたり、プレッシャーに押しつぶされそうなことが多かったなって。そんな「安室奈美恵」からのちょっとした開放感があって。その作業がとてもとても楽しくて。今までワクワクドキドキ感を持ちながら楽しく作ってたのかなって気づかされた」
『平成史スクープドキュメント 安室奈美恵 最後の告白』(NHK)より
大きくなりすぎた「安室奈美恵」という名前を一度忘れ、本当の意味で自分が楽しいと思える音楽に没頭できたのかもしれません。
安室奈美恵という国民的アーティストが当時マイナーだったR&BやHIPHOPを広めたことも、彼女の大きな功績の一つでしょう。
SUITE CHICでの活動をきっかけに、安室さんはアーティストとのコラボに対しても積極的になっていきます。
他のアーティストとのコラボによる化学反応で、自分の新たな一面を見出す楽しみを知ったのかもしれません。
R&B・HIPHOP路線に移行
SUITE CHICの活動を経て、自身の音楽性が見えてきた安室さん。ソロ活動においてもR&B、HIPHOP路線を突き進んでいきます。
しかし「shine more」「Put’Em Up」「SO CRAZY」などを立て続けにリリースするも、マイナーなジャンルだったこともあり、売上は振るわず。
当時、世間では「安室奈美恵?まだ活動してるの?」という厳しい空気感もあったようです。
しかし、当時のシングルはどれもかっこよく、一ファンとしては活動を続けてくれて本当によかったと感じます。
「時代の先駆け」となったオリジナルアルバム『STYLE』
2003年には、セルフプロデュース第一弾となるオリジナルアルバム、『STYLE』を発売。
セールスは22.2万枚で、「安室奈美恵史上一番売れなかったアルバム」となりました。
「歌う」楽曲から「聴く」楽曲へ
しかし、音楽性における評価は高く、「時代を先取りしている」というレビューも。
カラオケなどで「歌う」楽曲から「聴く」楽曲へと変化していった時代に合わせた、クールな楽曲が集まっています。
ファンの間でも好評?
小室哲哉さんのプロデュースによって、一躍その名を知られることとなった安室奈美恵さん。
しかし、安室さんファンの中には小室プロデュースを離れた後の楽曲の方が好きだという声も少なくありません。
ファンの間では「安室さんがアーティストとして覚醒したのはCDが売れなくなってから」という人もいるようです。
テレビよりもライブに尽力
当時からテレビへの露出を減らし、ライブに尽力するようになった安室さん。それも時代を先取りしていたと言えるでしょう。
当時から音楽番組は徐々に減り、音楽ファンはCDよりライブに関心を向けるようになりました。
後にストリーミング配信が主流になる流れを見越していたかのように、安室さんは精力的にライブ活動を行っていったのです。
セルフプロデュースアルバム『PLAY』が一位を獲得
そして2007年発売の安室さんのセルフプロデュースアルバム・第三弾の『PLAY』がついに、週間オリコンランキング1位を獲得。
自信の音楽性が見えてきたのに加え、安室さんが少女漫画にドハマりした影響で、歌詞の世界観にも遊び心が垣間見えるようになりました。
『PLAY』は、そんな彼女の中の変化や、音楽を楽しもうという遊び心が反映されているアルバムでもあります。
ヒットシングルも多数収録
『PLAY』には、「Baby Don’t Cry」や「FUNKY DOWN」など、ドラマやCMに起用されたヒットシングルも収録されています。
安室さん自身楽曲選びにもかなりこだわり、「理想に近づけた」とアルバムだと語っています。
「完全復活」を果たした2008年
そしてその翌年2008年は、安室奈美恵さんが世間から「完全復活した」と言われた年となりました。
自身が出演するVSのCMが話題となり、CMに起用された楽曲を集めたシングル「60s70s80s」がオリコンランキング1位になったのです。
また、同年発売のベストアルバム『BEST FICTION』は、6週連続首位を獲得。ミリオンセラーの大ヒットとなりました。
『BEST FICTION』には安室さんの最も売れなかったと言われる低迷期のシングル曲「ALARM」なども収録されています。
セールスが伸びない時期も自身の音楽性を信じ続けた安室さん。
低迷期と呼ばれる時期にリリースされた楽曲も日の目を浴びることとなり、安室さんも嬉しかったことでしょうね。
ベストアルバムが「最優秀アルバム賞」に選出
さらに、『BEST FICTION』はレコード大賞の最優秀アルバム賞にも選ばれ、年間アルバムランキングでも2位に。
ベストアルバムをひっさげたライブツアーDVDも好セールスを記録し、「安室奈美恵の再ブレイク」が大々的に取り上げられました。
安室奈美恵が語った「再ブレイク」とは?
「再ブレイク」「完全復活」と言われることに関しては、当時はあまりピンと来ていなかったという安室さん。
それはきっと、彼女自身が常に全力で音楽と向き合い、その時々で「最高にかっこいい」と思える音楽を追求してきたからでしょう。
実際、セールスが振るわない時期の楽曲もどれも個性が光り、時代の流れに影響されないかっこよさがあります。
二度ブレイクできる人は本物とも言われますが、安室さんの常に「本物」であり続けようとする姿勢こそが、再ブレイクへとつながったのでしょう。
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安室奈美恵のプロフィール
名前:安室奈美恵(あむろなみえ)
生年月日:1977年9月20日
年齢:46歳
血液型:O型
出身地:沖縄県那覇市
身長:158cm
体重:40㎏
スリーサイズ:B75-W58-H84
職業:歌手、ダンサー
1992年9月にスーパーモンキーズのメンバーとして東芝EMIよりメジャーデビュー。
1995年にavex traxよりソロデビューし、2018年9月をもって芸能界を引退した。