1992年9月に芸能界デビューし、2018年9月に芸能界を引退した、安室奈美恵さん。
輝かしい成功を収めた彼女ですが、とても苦労人であることでも知られています。
今回は、そんな安室奈美恵さんの生い立ちや両親の離婚、父親との関係などについて詳しくまとめました。
歌姫・安室奈美恵の生い立ち

3人兄妹の末っ子として生まれる
沖縄県那覇市首里に3人兄妹の末っ子として生まれた、安室奈美恵さん。
生まれた時は3980グラムという、とても大きな赤ちゃんだったそうです。
「奈美恵」という名前の由来は?
安室奈美恵さんの「奈美恵」という名前の由来は、ドラマのヒロインの名前だそうです。
1976年放送のテレビ朝日系の『絣(かすり)の花』というドラマで、女優・大原麗子さんがヒロインを演じました。
奈美恵さんの母・恵美子さんは、ヒロインの「奈美恵」という女の子がいじめや嫁姑問題で悩み、耐え抜く姿に感動したそう。
どんな苦しみにも耐えられる子になるようにという思いを込めて、「奈美恵」と名付けたそうです。
事務所の社長・平氏も「奈美恵」という名前は「バランスもいいし呼びやすい」と、芸名に採用したそうです。
4歳の時に両親が離婚

安室奈美恵さんは、当時まだ保育園に通う4歳の時に、ご両親が離婚。奈美恵さんのご両親の結婚生活は約9年だったそうです。
奈美恵さんのご両親は、新婚生活こそ楽しかったものの、子供が産まれてからは喧嘩ばかりだったそう。
離婚直前の頃は毎晩のように大きな声で夫婦喧嘩をし、物が飛んだり暴力などもあったといいます。
奈美恵さんは喧嘩が始まると部屋の隅に行き「自分まで怒られるんじゃないか」と震えながら身を縮めていたそう。
もともと控えめな性格である上、当時はまだ4歳だった奈美恵さんにとって、とても心細かったことでしょうね。
奈美恵さんの精神が不安定に?
ご両親の喧嘩が絶えなかったこともあってか、当時の奈美恵さんはやや精神が不安定になってしまったそう。
当時の奈美恵さんの先生で独身で一人暮らしの愛子先生というとてもいい先生がいて、その先生に救われたそうです。
愛子先生は「ちょっと精神が不安定なようだから、(安室さんを)うちに泊めます」と奈美恵さんのお母さんに伝えたそう。
月に2日ほど先生の家に止まるようになり、安室さんが「今日は愛子先生の家に泊まる!」と泣くこともあったそうです。
奈美恵さんが不安定になりつつも精神が壊れなかったのは、当時の先生の温かいサポートがあったからかもしれませんね。
愛子先生は奈美恵さんのデビュー後も、スターになったことをとても喜んでくれていたようです。
「安室」の苗字は変えず
ご両親の離婚後も、安室奈美恵さんは父親の「安室」という苗字をそのまま使い続けたそう。
奈美恵さんの父親は親権をとらなかったそうですが、離婚後も姓を変えなくて良いという法律ができたそうです。
苗字が変わることで子供たちがいじめにあわないようにと、奈美恵さんのお母さんの配慮で苗字をそのままにしたそうです。
安室奈美恵さんの「安室」という苗字は、芸名ではなく本名で、もともとお父さんの苗字だったのですね。
安室奈美恵さんのお母さんは、平良恵美子さんという方。
恵美子さんは23歳の時に「安室」姓の男性と結婚し、9年間の結婚生活を経て32歳で離婚。10年後に、平良姓の男性と再婚しました。
当時の家賃は4〜5千円?
ご両親の離婚後、奈美恵さんは母・恵美子さんとお兄さん、お姉さんとともに同じ学区の家に引っ越します。
当時の家の家賃はなんと、5千円。窓さえない六畳一間だったそうです。
奈美恵さんの母・恵美子さんは、その家の近所のスナックで働き始めたといいます。
安室さんのお母さんは、夕方5時に仕事を抜け出して安室さんを保育園に迎えに行き、その後は自分が働いている保育園に預けたそう。
毎日、帰りは深夜2時で、3時間ほど睡眠をとって6時には起き、1日の準備をはじめるという生活だったようです。
その家での生活は約1ヶ月ほどで終わり、奈美恵さん一家は市営団地の抽選に当たったそう。
「石嶺(いしみね)団地」という団地で、4畳半と3畳の部屋に、シャワー付きで家賃4千円だったそうです。
家賃4〜5千円の家賃の家で4人家族で生活をしていたとなると、とても十分な広さとは言えませんよね。
安室奈美恵さんが幼少期住んでた那覇市首里石嶺団地が新し建物になっていた😃まだ一部、古い建物が残っているが建て替えるのであろう。 pic.twitter.com/3tV6r2iUVx
— イチャリバチョーデー (@NM3jqx3nzDPpZ3e) April 14, 2021
一家心中の危機?
子どもたちを支えるため、奈美恵さんの母・恵美子さんは、昼は保育園の保母、夜はスナックでホステスをしていたそう。
団地での生活は約6年間続き、当時の生活について奈美恵さんの母・恵美子さんは「苦しかった」と語っていました。
奈美恵さんのお姉さんは喘息を持っており、シングルマザーの恵美子さんはとても大変な思いをしたそうです。
当時はあまりの辛さに、恵美子さんは、一家心中が脳裏をかすめたこともあったと語っていました。
しかし、スナックのママをはじめとする人たちに支えられて、なんとかやってこれたそう。
女で一つで3人の子供を育てていかなければいけない重圧は、壮絶なものだったことでしょうね。
子供の前で涙を流すことも?
奈美恵さんの母・恵美子さんは、夜7時に保育園の仕事を終えた後で安室さんを家に連れて帰り、その後は夕食の支度。
その間に子供をお風呂に入らせて、夕食を終えると、夜9時から夜の仕事に行くという生活だったそう。
夜の仕事を終えて帰宅する頃には午前2時をまわり、一息つく暇もなく、次の日に備えて早く寝ていたそうです。
恵美子さんは、深夜に帰ってきても「お帰り」と言ってくれる人がいなくて寂しさも感じていたそう。
そのため、酔っぱらっている時は、奈美恵さんたちを起こして座らせ、小言を言っていたこともあったそうです。
時には涙を流しながら、子どもたちの前で愚痴をこぼしたこともあったとか。
シングルマザーとして女手一つで3人の子供を育てていくことは、並大抵のことではありませんよね。
奈美恵さんたちもそんなお母さんの苦労を見ていたからこそ、少しでもお母さんに寄り添いたかったのかもしれません。
「家庭は明るかった」
奈美恵さんの母・恵美子さんは、辛い生活の中でも「けっして暗くはなかった。家庭は明るかった。」と語っていました。
恵美子さんが深夜の2時ごろに仕事から帰ってくると、家族みんなで川の字で寝ていたそうです。
「笑いたいときにみんなで笑えて、泣きたいときにはみんなで泣ける」、そんな家庭だったといいます。
金銭的にも苦しい中でも、温かい家庭だったからこそ、その苦しみを耐え抜くことができたのかもしれませんね。
安室奈美恵の母親の教育方針とは
奈美恵さんの母・恵美子さんの子育てには多少の厳しさがあり、大声で叱ったり、時には手で叩くこともあったそう。
シングルマザーになってからはさらに厳しくなり、一人が悪いことをしたらみんな並ばせて叱っていたそうです。
恵美子さんはそのスタイルにより、兄弟間の連帯感が生まれたとも感じた、と語っていました。
しかし、その一方で、叩くことに関しては罪悪感もあったようで、子どもたちに謝ったりもしていたそうです。
子どもたちを立派に育てなければいけないという責任感のあまり、厳しくなってしまったのかもしれませんね。
当時のお小遣いは500円

奈美恵さんの幼少期のお小遣いは500円。学校で必要なものなどは別で買ってもらっていたそうです。
奈美恵さんは少ないお小遣いからも、お釣りを自分のお小遣いの足しにするという、賢いやり方をしていたそう。
ノートが欲しいと言って100円をもらうと、80円や70円などの安いものを探して、残りを貯金したりしていたようです。
奈美恵さんの堅実ぶりは、当時からだったのですね。
恵美子さんは当時の経験があるからこそ、奈美恵さんは芸能界に入ってからも無駄遣いをしないのでは、と語ります。
家計の問題が性格に影響?
奈美恵さんは、幼い頃は着るものもお姉さんのお古ばかりで、お母さんが履いていたものを着たこともあったとか。
それでも文句ひとつ言わず、物を欲しがったこともほとんどなかったそうです。
奈美恵さんの母・恵美子さんは、ご両親の離婚や家計の問題が奈美恵さんの娘の性格に影響を与えたのでは?と考えたそう。
家計の状況が厳しい中、「がまん」「甘えない」という考え方が身についたのではないか、と感じたそうです。
芸能界に入ってからも、洋服やブランドにはほとんど関心がなかったという、奈美恵さん。
一方、恵美子さんはそんな奈美恵さんに対して「本当はもっと甘えたかったんじゃないか」とも考えていたそうです。
恵美子さんの中では、奈美恵さんのわがままを聞いたり、色々なものを買ってあげたかったのかもしれませんね。
唯一欲しがったものとは...?

苦しい生活を送る中、何かを欲しがることもほとんどなかったという奈美恵さん。
そんな奈美恵さんですが、ある時「ピアノが欲しい」と言ったそう。寝言でも「ピアノ」と言うほどだったそうです。
当時の安室さんは小学4年生で、アクターズスクールに通い始めて音楽に目覚めた頃。
母・恵美子さんは、普段物を欲しがらない安室さんのわがままとあって、なんとかしてやりたいと思ったそう。
2万円のエレキピアノを楽器屋さんで見つけ、奈美恵さんのお父さんに頼み、お金を融通してもらったそうです。
奈美恵さんのお父さんも、「2万円くらいならなんとかする」と承諾してくれたそう。
奈美恵さんは大喜びで、学校やアクターズスクールから帰ってくるといつもピアノを弾いていたそう。
家にいる時は一時たりともピアノのそばから離れることはなかったといいます。
物をほとんど欲しがらなかった奈美恵さんがおねだりするほど、奈美恵さんは音楽にのめり込んでいたのですね。
奈美恵さんのご両親も、なんとかして奈美恵さんのことを応援したい、という気持ちだったのでしょうね。
安室奈美恵と父親との関係とは

内緒で父親に会っていた?
ご両親の離婚後も、奈美恵さんは、お母さんに内緒でお父さんに会っていたそうです。
奈美恵さんの家と奈美恵さんのお父さんの家は、ちょうど学校を中心にして左右対称の位置にあったそう。
そのため、奈美恵さんは学校帰りに偶然お父さんに会ったといいます。
そのため、奈美恵さんは母・恵美子さんに「私ね、お父さんのいるところ知ってるよ」と言っていたそう。
一度会ったことで「ここにいると父親とまた会えるかもしれない」と思ったのかもしれない、と語っていました。
奈美恵さんのお父さんも、奈美恵さんのことをとても可愛がっていたそう。
ちゃっかりお父さんに会いに行ってしまうところにも、奈美恵さんのかわいらしさが現れていますよね。
父親も活動を応援していた?
とある母の日に、奈美恵さんが母・恵美子さんにカーネーションを持ってきたことがあったそう。
恵美子さんは一瞬、奈美恵さんがどこかから盗んできたのでは?と不安になったそうです。
しかし、奈美恵さんはアクターズスクールの定期公演の衣装代として、お父さんから5000円をもらっていたそう。
その5000円うちの100円を使い、カーネーションを買ったそうです。
恵美子さんは複雑な気持ちになったそうですが、子供が父親と会うのを止めるわけにはいかないと感じたそうです。
恵美子さんは奈美恵さんに甘えさせる余裕がなく、それを父親にぶつけていたのでは、と考えたそうです。
奈美恵さんのお父さんも衣装代を渡してあげるくらい、奈美恵さんの活動を密かに応援していたのかもしれませんね。
まとめ
今回は、安室奈美恵さんの生い立ちや両親の離婚、父親との関係などについて詳しくまとめました。
奈美恵さんの実の父親については情報が出ることは少ないですが、お父さんとも時々会っていたようですね。
奈美恵さんは幼い頃は生活の面で苦しい思いをしながらも、家族からの温かい愛情を受けて育ったことが伺えます。
奈美恵さんの堅実な一面や多くの人に愛される人柄は、そんな家庭環境で培われたものなのかもしれません。
安室奈美恵のプロフィール
名前:安室奈美恵(あむろなみえ)
生年月日:1977年9月20日
年齢:48歳
血液型:O型
出身地:沖縄県那覇市
身長:158cm
体重:40㎏
スリーサイズ:B75-W58-H84
職業:歌手、ダンサー
事務所:stella 88
1992年9月にスーパーモンキーズのメンバーとして東芝EMIよりメジャーデビュー。
1995年にavex traxよりソロデビューし、2018年9月をもって芸能界を引退した。