経歴・エピソード

中卒で芸能界へ!安室奈美恵の覚悟と母親が語った涙の上京秘話!下積み時代から成功までの道のりについても

1992年にスーパーモンキーズのメンバーとして芸能界デビューし、2018年に芸能界を引退した、安室奈美恵さん。

今回は、そんな安室奈美恵さんの沖縄からの上京秘話についてまとめました。

奈美恵さんの母・恵美子さんが語っていたエピソードや、下積み時代から成功までの道のりも時系列でご紹介します。

安室奈美恵の上京秘話・成功までの道のり

 

10歳の時に沖縄アクターズスクールへ

安室奈美恵さんがはじめて沖縄アクターズスクールを訪れたのは、10歳の時。友達の付き添いだったそうです。

そこで校長のマキノ氏にスカウトされ、11歳で特待生として沖縄アクターズスクールに入校しました

マキノ氏は、まだ安室さんの歌やダンスを見る前だったそうですが、直感で「逸材だ」と感じたそう。

階段を上り下りする体の動きもしなやかだったといいます。安室さんは幼い頃から人を惹きつけるオーラがあったのですね。

アクターズにのめり込む日々

中学生になってからは、寝ても覚めてもアクターズスクールのことを考えていたという奈美恵さん。

中学3年生だけで学校を100日も休んでしまい、卒業単位を得られるギリギリの日数になってしまったそう

あまりの休みの多さに学校だけでなく、県の教育委員会からも呼び出しを受けたといいます。

お母さんとの喧嘩も増え、お母さんが「今日はアクターズを休んで家にいなさい」と注意したこともあったとか。

しかし、奈美恵さんはお母さんが家事をしている間にバッグを持ってアクターズに行ってしまうのだそう。

そして、帰宅後はCDを何食わぬ顔で聴いていたといいます。当時からとても意志が強かったのですね。

奈美恵さんの中では、「歌とダンス」という明確な目標を見つけ、それに一直線だったのでしょう。

「このままじゃ、卒業できませんよ」

 

奈美恵さんとお母さんは学校に呼び出され、「このままじゃ、卒業できませんよ」と厳しい言葉を投げつけられたそう。

すると、奈美恵さんがハッキリとした声で、こう言ったそうです。

「卒業できなくてもかまいません。中学の卒業証書があっても将来ごはんが食べられるわけではありません。私は歌でお金を稼ぎ、りっぱにやっていきます。そして、お母さんを楽にさせてあげたいんです」

『約束―わが娘・安室奈美恵へ』より

当時まだ中学3年生の女の子が発するとは思えないほど、力強い言葉ですよね...!

勉強より歌とダンスをやりたい、という生半可な気持ちではなく、歌とダンスを本気で仕事にしたいという意志を感じさせます。

奈美恵さんの母・恵美子さんは、引っ込み思案だった奈美恵さんの口からそれほど力強い言葉が出たことに驚いたそうです。

まだ周りに流されたり、将来の夢が明確でない子も多い年齢で、これだけの強い意志を持てるのはすごいですよね。

中3から学校に行かなくなる

それっきり、奈美恵さんは学校には行かなくなったそう。卒業式にも出ず、卒業証書ももらわなかったそうです

当時すでに、奈美恵さんはスーパーモンキーズとしてデビューすることが決まり、上京する予定だったそう。

「歌手になって成功する」という強い意志を持つ奈美恵さんにとって、もはや学業は必要ではなかったのでしょう。

母・恵美子さんの苦労を間近で見ていた奈美恵さんは、お母さんを楽にしてあげたいという思いも強かったのかもしれません。

卒業証書に関しては、後にテレビ番組で奈美恵さんの特集が行われた際に、校長先生から受け取ることができたそう。

奈美恵さんは、その卒業証書を卒業アルバムと一緒に大切に保管していたそうです。

学校の先生たちも、歌手として立派にやっていくと宣言した奈美恵さんが「有言実行」する姿に驚いたことでしょうね。

中3の2月にライジングプロダクションと契約

 

安室奈美恵さんは中学3年生の2月に、東京の芸能事務所・ライジングプロダクションと契約しました

契約書にサインをしたのは、保護者である安室奈美恵さんの母・恵美子さんだったそうです。

恵美子さんは、アクターズスクールの校長・マキノ氏が信頼できる人だった上、契約の話にも納得したため契約を決めたそう。

しかし、かつて歌手を目指していた知人に話すと「なんてバカなことをしたの!」と言われたそうです。

芸能界に入ることは「子供を売ること」だと言われ、悶々とした日々を過ごしていたそう。

しかし、恵美子さんは上京の日を指折り数えて待っている奈美恵さんには何も言えなかったといいます。

娘の夢を応援したい気持ちと心配な気持ちとの間で、お母さんの中でも葛藤があったのでしょうね。

「東京なんかに行っちゃだめ!」

そして3月初旬の上京の当日、恵美子さんは身支度をする奈美恵さんを見て思わず「東京なんかに行っちゃだめ!」と叫んだそう

しかし、奈美恵さんはボストンバッグに衣類などをつめ、「嫌だ、行く」と怒ったように言ったそうです。

なにがなんでも止めなければと思った恵美子さんはボストンバッグを奪い取ってしまったといいます。

反対する恵美子さんに対し奈美恵さんは「行く!絶対に行く!」と涙をこぼし、最終的に恵美子さんは折れたそうです。

奈美恵さんは涙をぽろぽろ流しながら「絶対に成功するから」と言ったそう。

恵美子さんはその言葉を聞いたとたん、バッグをつかむ手から力が抜けてしまったと語っていました。

奈美恵さんも上京する寂しさもあったのかもしれません。

恵美子さんはお財布にあった2万円を奈美恵さんに渡し、奈美恵さんはそのお金を掴み、黙って家を出ていったそう。

恵美子さんはその場にへたりこみ、中学校の制服を着た奈美恵さんの後ろ姿を見送るだけだったといいます。

恵美子さんは借金をしてでももっとお小遣いを渡し、空港まで見送りに行ってやればよかったと後悔したそうです。

「どうせすぐに帰ってくる」

しかし、恵美子さんの中には「どうせすぐに(沖縄に)帰ってくる」という思いもあったそうです。

恵美子さんは、契約の時にマキノ校長から「とにかく3年間預けてください」と言われたそう

「それでだめだったら、きちんとアクターズのほうでインストラクターなどの仕事をやってもらいますから」と言われていたといいます。

恵美子さんの中では、そのマキノ校長の言葉が心の支えにもなっていたそうです。

奈美恵さんからの電話

奈美恵さんが上京してから1カ月後、奈美恵さんから母・恵美子さんのもとに電話で連絡があったそうです。

恵美子さんが「元気にやってるの?仕事はあるの?」とたずねると、奈美恵さんは「だいじょうぶよ、元気よ」と笑って答えたそう

奈美恵さんは「それより、送ってほしいものがあるの」と必要なものを注文し、あっさり電話を切ってしまったそうです。

奈美恵さんのリクエストは、沖縄特産のポークの缶詰など、奈美恵さんの好物や、下着などの日用品。

恵美子さんは奈美恵さんが子供の頃から好きだった亀子センベイや塩センベイなどを段ボール箱一杯に送ったといいます。

奈美恵さんの母・恵美子さんは、電話のたびに「ちゃんとご飯を食べているの?病気してない?」とたずねたそう。

奈美恵さんと話す内容はほとんど食事と健康のことだけで、仕事の話は二の次だったそうです。

お母さんとしては、まだ10代半ばで親元を離れて暮らす娘さんのことが心配で仕方なかったのでしょうね。

スーパーモンキーズは東京では共同生活をしていたそうなので、その点はお母さんも安心できる点だったそうです。

地元・沖縄のスーパーでの営業

奈美恵さんが上京してから1年後、奈美恵さんはスーパーモンキーズメンバーとともに、仕事で沖縄に戻ってくることに

那覇空港の近くにスーパー「ジャスコ」が新しくオープンすることになり、そのイベントに呼ばれたそうです。

イベント会場は、スーパーの敷地の多目的広場。ガランとした広場に人がちらほらいるという状況だったそうです。

スーパーモンキーズのメンバーは、デビュー曲の「ミスターUSA」など、3曲ほどを披露しました。

しかし、沖縄出身のグループとは言っても、まだ売れていない状態だったため、誰も奈美恵さんたちを知らなかったそう。

たまたまその時間に居合わせた人が見ていたくらいで、真剣に聞いていたのはメンバーの家族だけだったようです。

売れる前に地元に帰ってきて歌を披露するというのは、奈美恵さんたちの中でも悔しさがあったことでしょうね。

お菓子も制限するストイックぶり

奈美恵さんの母・恵美子さんは、控室にいる奈美恵さんを見た時に「やせたなあ」と感じたそう。

「ちゃんとご飯食べてるの?」と聞くと、奈美恵さんは「3キロくらい痩せたかな」と答えたそうです

「踊りとかやるから体重は落とした方がいいの。動きが良くなるから」とも語っていたそう。

当時のメンバーはお菓子なども控えるように言われていたようですから、かなり厳しい生活をしていたことが伺えますね。

住民票を沖縄から東京へ移す

上京してから2年ほど経ってから、奈美恵さんは恵美子さんに「住民票を送って」と電話してきたそう。

海外での初仕事であるサイパンでのコマーシャル撮影に行くため、パスポートを作るためだったそうです。

事務所の方からも住民票を東京に移すように言われ、恵美子さんは「もう奈美恵は沖縄に帰ってこないんだ」と実感したそう。

家に帰って、奈美恵さんの名前の消えた住民票と保険証を観た時は、涙が止まらなかったという恵美子さん

奈美恵さんが東京に行ってからしばらくは、心にぽっかり穴が開いたような気持ちだったといいます。

奈美恵さんに仕事が増えてきて嬉しい気持ちと、寂しい気持ちが入り混じったような感情だったのでしょうね。

3ヶ月に1回沖縄に帰省?

しかし、上京後もスーパーモンキーズはブレイクせず、奈美恵さんは3ヶ月に1回ほど沖縄に帰ってくるようになったそう

仕事ではなく、休暇だったそうで、事務所からの気遣いもあり、2泊3日で沖縄に里帰りしていたといいます。

「スーパーモンキーズが売れていないのは確か」

奈美恵さんの母・恵美子さんの目から見ても「スーパーモンキーズが売れていないのは確か」だったそう

奈美恵さんは、沖縄に帰省してくる時はいつも疲れているような顔だったといいます。

恵美子さんは「おしゃべりに付き合わせるのがかわいそう」と感じ、寝たいだけ寝させておいたそうです。

それからずっと後になり、当時は東京に戻っても3日くらい仕事がなかったことを教えてくれたそう

当時、奈美恵さんが帰省してもお母さんとあまり話をしなかったのは、心配をかけたくなかったからなのかもしれませんね。

もともと奈美恵さんは、幼い頃からお母さんから何かを聞かないと自分から話をしてこない子だったそう。

仕事がない時期、恵美子さんから電話をかけて奈美恵さんが出た時なども、「仕事がない」とは言わなかったそうです。

恵美子さんが「今日は休みなの?」と聞くと「今日はたまたま休み、明日はまた仕事が入ってるの」などと意地を見せていたそう。

奈美恵さんとしてもお母さんに心配をかけたくないのに加え、いつか仕事が増えるはず、と自分に言い聞かせていたのかもしれませんね。

ドラマに出演するも、脇役止まり...

上京してからしばらく経ってからも、スーパーモンキーズは鳴かず飛ばず。

たまにテレビに出ても、加藤茶さんと志村けんさんの番組で、後ろでチアガールのように踊る程度だったといいます。

奈美恵さんは、女優として内田有紀さん主演のドラマ「時をかける少女」というドラマに出演したことも。

しかしそれも、新聞のテレビ欄に名前がのらない脇役だったといいます。

「ポンキッキーズ」のレギュラーに

しかし、そんな安室奈美恵さんの転機となったのが、鈴木蘭々さんと出演していた「ポンキッキーズ」という朝の番組。

その番組で、ようやくレギュラーの座を勝ち取ったのです。

「ポンキッキーズ」は毎朝の番組であったため、奈美恵さんの母・恵美子さんも欠かさず見ていたそう。

「うさぎのぬいぐるみをつけて、中から黒い顔を出して踊っていました」と語っていました。

「奈美恵も元気にやっているな」と、元気な様子を確認していたといいます。

奈美恵さんを毎朝見られるのに加え、ようやく仕事が軌道に乗ったことで、恵美子さんもほっとしたことでしょうね。

六本木で1人暮らしを開始

奈美恵さんの上京から約2年後、恵美子さんは初めて奈美恵さんのいる東京のマンションをたずねたそう。

奈美恵さんは「ポンキッキーズ」のレギュラーになったことで、六本木で一人暮らしを開始したのです

当時の奈美恵さんのマンションは広いワンルームで、電気製品はなんでもそろっていたそう。

恵美子さんは、自分の自宅よりもはるかに贅沢だと感じたそう。

それに加え、14歳で家を飛び出して、こんな生活までできるようになった奈美恵さんを褒めたくなったそうです。

「必ず成功するから」と涙を流しながら、沖縄から東京へ向かったという、安室奈美恵さん。

学校の先生たちにも歌手として立派にやっていくと宣言し、10代にして成功のきっかけを掴んでいるのはすごいですよね。

「TRY ME 〜私を信じて〜」が大ヒット

安室奈美恵さんが「ポンキッキーズ」のレギュラーになった1994年、「スーパーモンキーズ」は「安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S」名義にグループ名を変更。

しかし、同名義になってからの第一弾シングル「PARADISE TRAIN」はあまりヒットしませんでした。

母・恵美子さんは当時、レンタルCDショップ「TSUTAYA」や、パチンコ屋さんによく通っていたそうです。

パチンコ屋さんは有線放送で歌謡曲を流しているため、世間でヒットする前に、その前兆がわかるそう。

恵美子さんは時間があればパチンコ屋さんに行き、奈美恵さんの歌がヒットしているかチェックしていたそうです。

しかし、その翌年1995年1月にリリースされた「TRY ME 〜私を信じて〜」が、累計売上73.3万枚の大ヒットとなるのです

「TRY ME 〜私を信じて〜」はavexのMAX松浦さんプロデュースの楽曲でした。

同じ頃に、奈美恵さんは松浦氏のビジネスパートナーであった小室哲哉さんとも出会うことになるのです。

最年少でレコード大賞を受賞

「ポンキッキーズ」に出演後は、スーパーモンキーズからソロデビューを果たし、さらにブレイクした安室奈美恵さん。

小室哲哉プロデュースの元でヒット曲を連発し、「アムラー」現象も巻き起こすなど、スターダムを駆け上がっていきました。

そして、1996年には史上最年少でレコード大賞を受賞した安室奈美恵さん

母・恵美子さんは、子供の頃から人前ではめったに涙を流さない安室さんが人目をはばからず泣く姿に驚いたそうです。

まとめ

今回は、安室奈美恵さんの上京秘話や、下積み時代から成功までの道のりについてまとめました。

奈美恵さんの母・恵美子さんは、奈美恵さんが上京する際は「3年で帰って来ることになる」と思っていたそう。

しかし、奈美恵さんは上京から3年ほどで、レコード大賞まで受賞。本当にすごいことですよね

レコード大賞受賞の際、小室哲哉さんは奈美恵さんについて「日本一、頑張ったと思います」と語っていました。

自らの夢を信じ、強い意志でその夢を追い続けて夢を叶えた奈美恵さんは、まさにスターですよね。

安室奈美恵のプロフィール

名前:安室奈美恵(あむろなみえ)
生年月日:1977年9月20日
年齢:48歳
血液型:O型
出身地:沖縄県那覇市
身長:158cm
体重:40㎏
スリーサイズ:B75-W58-H84
職業:歌手、ダンサー
事務所:stella 88

1992年9月にスーパーモンキーズのメンバーとして東芝EMIよりメジャーデビュー。

1995年にavex traxよりソロデビューし、2018年9月をもって芸能界を引退した。

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